じゆう と 自由

この場合、漢字で書かれた「自由」の方が

ひらがなのそれよりも「自由」な感じがします。

一般的に「ひらがな」で書かれた表記の方が

何の縛りもなくストレスフリーな感じですが

この場、「自由」の方がしっくりきます。

やっぱり漢字のもつ独特の重さや緊張感が

この自由という言葉に求められているからなのでしょうか?

よく大人は子供に「自由」の概念を教える時、「自由」には

「責任」が伴うのだよ云々。などと言います。

これって、よく考えると「自由」の概念ではなく「責任」の概念

なのだと思うんです。決して「自由」の正体というのは「自由」

ではなく、「じゆう」なんだと思いたいし、そうなはずです。

そういう意味では「自由」な人は「じゆう」を知ったかぶりする

天狗なのだと。

僕は天狗になるのはいやなので、どぶ川で泳がされても笑顔の絶やさない

お猿さんの方をこれからも選んでいく予定です。

別に深い意味は全くないけどね。