いざ、ダライ・ラマ14世(第三部・最終回)


『モノだけで、心は満たされない』

当たり前のフレーズです。僕も過去何度かどこかで
聞き覚えのあるフレーズです。

ダライ・ラマさんは当たり前のことを、気取らず、エバらず
さらっと言いました。

そして、


『心を良い方向に変化させるためには、良い感情をもち
健康的な心の介入と持続が必要』だと。

『怒りや悲しみも大変大切な感情。しかし自分のなかでの
そのような感情の占める割合を調整できない場合、人間は
不健康な心の状態になる』と。

『物事はすべて、相対的に考え判断しなければならない。
そうしなければ、何が正しく、何が間違いかを知ることの
ないまま決断をしてしまうことが恐ろしい』。

『例えば、中指、人差し指、小指。三本を比べ相対的に
見るからこそ、小指が一番短いことが分かる。他の二本
と比べることをしなければ、小指の本当の存在位置が分か
らない』と。

『まずは、自分自身が心身ともに健康であることが大切』。

『自分が健全であれば、家族、地域、日本、世界へつながる』。

『人を思いやる気持ち』。

『シリアスすぎない態度』。

『例えば仏教やキリスト教など宗教の違いはあっても、
それぞれの宗教の中で
信じるものに向かう心が、光明の心を育てる』。


宗教って何やろって思うけど、人には、その人それぞれの宗教
の概念があって、その人の中ではゆずれない宗教の価値がある
と思います。

でも、ダライ・ラマ14世の話を聞いて、『宗教の種類』よりも
大切なことは宗教にとらわれないことではないかなって感じました。

『それぞれの信じるものに向かう心』

これこそが、本質ちゃうんかなあって思いました。

もっと言うと、『私は○○を信じています』。っていう思想をもつ
自分自身を信じるということなんで、宗教とは自分を信じることな
んかなあとも思ったりします。

でもこの僕の考えは『我』を否定する仏教においては真逆の心なんです。
無我の状態になるには、まだまだ修行が必要なことを実感しました(笑)。


(おしまい)